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曽野綾子さんの言葉 「どんな手段を使っても生き抜く」その5

ちょっといい話 : 2021年12月18日(土)

 「どんな手段を使っても生き抜く」そんな感覚を持ちなさい(曽野綾子)。この言葉は、週刊現代に掲載記事のスクラップ(2013年04月30日発売)から、紹介します。曽野さんは、今日に至るまで多数のベストセラーを著しており、言葉の端々から人生の理を垣間見る思いです。3日間の掲載でしたが、たくさんのアクセスをいただきましたので追加情報を2回にわけて掲載します。今回は、最終回です。

 徳のない経済活動は、一時は成功しても決して長続きしません。中国経済はいつか必ず失速するでしょう。経済力に徳がついてくるのではなく、その逆に、徳に経済力が伴ってくるものだからです。

 日本でも中国と同様に徳というものが忘れ去られつつありますが、その中で最近増えているように思うのが、「いいこと」をしようと躍起になる人です。

 あるアメリカの大学教授から最近教わったのですが、英語には、「Do-gooder」という言葉があるそうです。ドゥーグッダー、つまり直訳すると「いいことをする人」に思えますよね。ところがその教授によると、この言葉にはいい意味は一切ないそうです。「独善的な善行家」とか、「とにかく名声が欲しい人」といった意味の言葉なんです。

 教授には「あなた、英文科卒なのに知らなかったの?」と言われたので、こう言いました。「わが家では『いいことをするな』というのが家訓なのです」と。これは夫の三浦朱門に言われた言葉で、ヒューマニズムとか正義は声高に叫ぶな、これ見よがしに「人助けだ」と言い募るのは恥ずかしい、という意味です。きっと三浦の美学に根ざしたものでしょうけれど、それで思い浮かべるのは、最も偉大な投資家といわれる大富豪のウォーレンーバフェット氏です。

 実は私、たまたまバフェット氏とお会いしたことがあるのですが、後で調べてみましたら、あの方は自分の名前が付いた財団を一つも作らず、ビルーゲイツ氏の財団に何兆円も寄付している。一方で、3万ドルで買った5部屋しかない家に住んでいるそうです。彼は世界屈指のお金持ちなのに[Do-gooder」ではないんですね。

 人間の徳と覚悟は、見せ掛けではなく、他人には目立たないところでどう振る舞えるかに最も表れるものなのでしょう。(終わり)

いかがでしたか。10年前に書かれたものですが、現在の私達へのメッセージが数多く含まれています。私自身も胸に刻みながら生きていきたいと思います。