コラム・レポート

手紙のチカラ

2022年11月02日(水)

最近、手紙を書くことで、さまざまな課題が緩和されたことがある。特に両親への手紙は、顕著な例なので紹介したい。

私の両親は、大阪市住吉区で印刷会社を経営していた。倒産により両親は離婚。私は、父の故郷である宮崎県延岡市に移り住んだ。3歳の頃である。

30年程前、私の結婚を機に離別した母と再会。再婚し、子どもは警察官。ご主人とは死別していた。それ以降1年の数回、電話でお互いの近況などを伝えあった。私が50歳を過ぎた頃から、時間に余裕のできるようになり、母の住む大阪に1年に数回訪ねて行った。

母は、読書家で辛口のコメントをよく聞かせてくれる、几帳面で、何事にも一生懸命である。80歳を越えた頃から、気疲れからか私との面会が辛そうに感じてきたため、その後は電話でやりとりするようにした。

そんな母も電話で話すのが辛そうに感じてからは、私からは電話をかけず、母からの電話を待って、話すようにした。何故なら電話がかかってくる時は、母の体調が良い時だからだ。

その電話も、辛いように感じてきたこの頃、意識して手紙を書くようにした。その結果、母は「いつでも読める。また手もとに文字が残り、励みになるよ」と話してくれた。また、本や写真を添えると、とても喜んでくれる。これからも、タイミングを見て手紙を書きたいと思っている。

そして、父は70キロ程離れた延岡市にて、ひとりで暮らしており、地元のシルバー人材センターで毎日のように働いていた。しかし、昨年の10月、仕事中に脳幹梗塞を発症、入院生活となった。病院の介護のお蔭で、1月末に退院することができた。この間、週に2~3回、病院で寝泊まりをしながら支えた。退院の1ヶ月前、認知に少し問題があり、車の運転や日常生活に不安が残るため、私の住む宮崎市に転居してもらうことを父に告げた。

答えは「認知症ではない。宮崎にはいかない」と。「車の運転は生活に必要で、住み慣れた家を離れたくない」と強く言われた。説得したけれど、火に油を注ぐ状態だった。そして悩んだ末、手紙を書くことにした。

脳梗塞を発症した日のこと、入院生活、トラブル・・・など、これまでのことを時系列で事実のみを書いた。その上で、宮崎市に移り住むことで出来ること、これからの人生を私がどう支えたいかと綴った。

それから1週間。父は、宮崎市の老人ホームへ入居すること、車は手放すこと、これから新しく人生を生き直すことを決意したと私に話してくれた。

あれから2ヶ月。父は、宮崎市内の老人ホームで元気に暮らしている。遠く離れていた延岡と違い、父親との面会も1週間に2、3度できるようになった。現在は、新型コロナウイルスの影響で面会は叶わないが手紙を書いて、父を励ましている。

一方、私自身も先輩や仲間からの手紙に、励まされている。文面から伝わる思いや熱量に、勇気づけられる。電話もメールも便利、しかしそれ以上に手紙は、人と人をつなぐツールだと思う。


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