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「人間として一流をめざす、人間としての一流とは何か」

アラカルト : 2024年02月15日(木)

(人間として一流を目指す~心を育てる教育とは何か~)上甲 晃著より、転載)

 昭和の初めごろの話です。もちろん私も生まれていません。

 松下電器が中小企業より少し大きな会社になったころのことです。幹部社員の一人が、外部のある会合に出かけて行きました。そこで、隣に座っている人から、次のように尋ねられました。
 「あなたは松下電器という会社に勤務されているみたいですが、何を作る会社ですか?」

その幹部社員は、当然のごとく、「電気製品を作っている会社です」と答えました。もちろん、当時のことですから、今のようなしゃれた家電製品はなかったと思います。主にこたつとか、アイロンとか、ラジオなどだと思います。会社に帰った幹部社員は、次のように社長の松下幸之助に報告しました。

 「社長、今日、外部のある会合に行きましたら、私に『松下電器は何を作る会社ですか?』と聞く人がいました」
 「そうか。それで、君はどう答えたんや?」

 「はい、『電気製品を作る会社です』と、ちゃんと答えておきましたから、どうぞご安心ください」報告しながら幹部社員は、きっと社長から「そうか、うちも会社の名前を聞いただけでは、何を作っている会社かまだ分かってもらえんか。

これから、おおいに頑張って、会社の名前を聞いただけで、すぐ、何を作っている会社かピンと分かってもらえるような、そういう会社にならなあかんな」という返事があると思っていました。

 ところが、松下幸之助は、次のように言いました。
 「なに? 君は『松下電器は、電気製品を作る会社』と答えたのかね。君のその答えは、僕の考え方と違うな」
 報告した幹部社員は、「社長、それはいったいどういう意味ですか?」と聞き直しました。

 すると、松下幸之助は、「君な、どんなに高度な技術を身につけても、どんな立派な知識を身につけても、それは所詮、道具にしか過ぎんのや。どんな立派な道具を身に備えても、それを使う君自身が、人間として立派にならん限りは、絶対にいい仕事はできんのや。

松下電器は、電気製品を作る前に人間をつくる会社や」と言いました。これは、今日でも、松下電器の社内では大変よく知られている言葉です。

 技術や知識は所詮道具にしか過ぎないのです。どんな立派な道具を撒えても、あなた自身が人間として成長しない限りは、絶対によい仕事はできません。知識や技術ももちろん大事なことですが、もっと大事なのは、自分自身の人間としての値打ちをどのように上げていくかということなのです。

 例えば、ゴルフです。
私も、以前少しだけゴルフをやっていましたが、身に備わったゴルフの技術は、いわゆる三流以下です。その私か、仮に最高の道具を貸してもらってプレーしたとします。しかし、残念ながら、どんなよい道具を借りても、私の実力が三流であれば、やはり三流の結果しか出ません。

 ところが、世界でも有数のプロゴルファーであるタイガー・ウッズに、私の安物の道具を貸したとしましょう。道具がどんなものであっても、腕前が超一流であるタイガー・ウッズは、超一流に近いスコアを出すと思います。

 このように、道具ももちろん大事ですが、もっと大事なのは、自分自身の人間としての実力なのです。つまり、人間として一流にならない限りは、絶対に一流の結果を生み出すことはできないのです。そして人間として一流ということは、決して一流大学を出るとか、一流の企業に入るということではありません。

 では、どんな人が一流の人間なのでしょうか。
私は次のように思います。たとえ一流の大学を卒業していても、「自分さえよければ」という、自己中心的な考えの人は、人間としては三流です。
人間としての一流は、たとえ学歴がなくても、周りの人のことを常に自分のことのように考えられる心を持つことだと思います。それは、「志」を持てば必ず目指すことのできる道なのです。